栗の上にナスビが。
ご覧になってどのように感じますか?『おいしそう』、『おもしろいわね』、『形が変わってるわね』、『どんな味かしら』・・・・・・・・・・・・・・・。
あげているときりがないですね。
人は、千差万別、おのおのに思いはちがいますからね。
そこで、Y事務局長のつぶやきです。私もこのナスビを見て、めずらしいね、変わったナスビだなぁと思いましたね。
でもふと、こんなことも考えました。
ナスビって普通は、実の部分がひとつで、ふたつではないという固定観念があるにでは・・・・・・・・。
この『ナスビって普通は』という『普通』ということにひっかかりました。
きっとこの『普通』を支配しているのは、多数ですね。(うん、まちがなくそうだと勝手に思い込んでいます。)、つまり、このような形は、まちがいなくそれほど数は多くなく、少数です。
『普通』という言葉の背景に、多数があるとすれば、少数は『普通』ではないわけです。
そして、何よりも大事なことは、普通でないことをネガティブに受け取る傾向が私にあったのではないかという問題提起です。
『普通』=『多数』という考え方は、時に、少数を排除する傾向にむかうことになるかも知れませんね。意識して、『普通』って何?ということを考えることによって、もしかして、少数を排除しない、むしろ、少数であるからこそ個性の輝きを観ることのできる感性が育まれることになるのかも知れませんね。と まぁ こんなことを考えていまいました。
でも、この感性は、多文化を理解するうえでも大切なことだと思うのですが・・・・・・・・・・・。
こんな『つぶやき』を最後まで、お読み下さってありがとうございました。
今回は、少しまじめなつぶやきでした。
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